「藁」の創刊号は昭和61年でした。しかし、2年後の第7号以降、平成28年3月まで休刊しておりました。現在の冊子「藁」には、かつての冊子「藁」を継承する思いをも込めながら、「藁の文化」に関する情報の吹き溜まりを目指し、ほぼ月刊誌のかたちで刊行しています。
各号A4版20~24ページです。
各号の表紙写真、前書き、目次は、次のようです。
「藁」第1号は、PDFで、その全容を閲覧できます。
ぜひご覧ください。
冊子「藁」は、「藁の文化」に想いを抱く方々みんなでつくりあげていく刊行物です。「藁の文化」に関するさまざまな情報、玉稿、写真などを、下記の藁の文化研究会事務局にお寄せください。
冊子「藁」の刊行は、皆様からのご寄付に支えられています。「藁の文化」に想いを抱かれている皆さまのお気持ちを、冊子「藁」刊行のご支援に向け、お寄せください。
2,000円以上のご寄付をいただきました方には、「藁の文化研究会」の賛助会員として登録させていただき、冊子「藁」(1年間10号分)をお手元にお送りいたします。なお、ご執筆の玉稿を掲載させていただいた号は、寄贈させていただきます。
藁 第1号
平成28年3月15日「藁の文化」研究会 昭和61年1月15日の創刊号から昭和63年1月15日の第7号まで2年間刊行してきた『藁』は、今日までの28年間、休刊しておりました。近代化・工業化のうねりのなかで消えていった「藁の文化」を、いま再び、私たちは思索し、その今後を見据え実践していく必要があるのではないか。 深遠でとてつもなく広大な「藁の文化」に関する情報を多くの方々と交換し、それらが積もり積もって、やがて上昇気流となり、あるべき風土と文化の共通認識に通じていくのではないか。『藁』は、「藁の文化」に関する情報の吹き溜まりをめざします。 目次
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藁 第2号
平成28年4月8日「藁の文化」研究会 タンポポ。踏まれても、踏まれても、枯れることなく、冬の寒さを乗り越え、暖かな陽気が訪れると、顔を出し、可憐な花を咲かせる。そんな小さなタンポポの姿を眺めていると、日本人のDNAともいえる「藁の文化」に想いが及ぶ。踏まれても踏まれてもタンポポが強いのは、地中に長い長い根を張っているからだといわれる。 それと同じように、時代の表層は大きく変わっても、私たちの心の奥深いところには「藁の文化」が明確に存在し、いぶし銀のような光を放っている。それゆえに、「藁の文化」は日本人のDNAとして今日もなお息づいている。 目次
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藁 第3号
平成28年4月15日「藁の文化」研究会 藁縄に目を近づけてじっくり眺めながら、鉛筆でスケッチしてみました。また、縄の切れ端を一部ほどいてみました。藁稈の繊維が長いままにしっかりと生きていて、互いに絡まりながら縄になっています。 数本の藁打ちされた藁稈が綯われた太さ10ミリの縄はおよそ60キログラムの力にも耐えることができます。藁縄をつぶさに眺めていると、その強さのよりどころがわかるようにも思えてきます。 目次
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藁 第4号
平成28年5月1日「藁の文化」研究会 背中当ての首にかかるところの写真です。実に規則正しく、しっかりとした編み組みがなされています。機械で編まれたような精緻さです。でも、機械で編み組みされたものではありません。人間の手によって、編まれたものです。 機械編みでは出せない、優しさが感じられます。人間味が漂っています。藁の文化の主人公は、なんと言っても私たち人間です。 目次
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藁 第5号
平成28年6月22日 「藁の文化」研究会 『農業図絵』。加賀(現在の石川県)の土屋又三郎が享保2(1717)年に著した江戸時代の庶民生活図絵。全三冊に、一年間の行事、暮らし、農耕の様子が克明に描かれています。後年所蔵者によって「加賀農耕風俗図絵」と名づけられたのだそうです。 家族総がかりで、藁打ち、縄綯い、莚編み、薦編みなどの藁仕事が行なわれています。仕事する人びとの姿が生き生きと描かれています。 目次
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藁 第6号
平成28年7月5日「藁の文化」研究会 大場兼雄さんの『兼雄が書く東北地方の藁細工文化史・一字一句思儘書』は、北国でその幼少時代を送った兼雄さんがこの世に残された「愛の書」です。兼雄さんは、晩年千葉県八千代市勝田台に居を構え、公民館活動に情熱を傾けられました。 子どもたちに「藁の文化」を伝えようと、藁細工教室を開設されました。使い古しのカレンダーの裏面に巧みな絵と説明を墨書きし、それを掲示して、「藁の文化」の尊さを説かれました。 目次
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藁 第7号
平成28年7月25日「藁の文化」研究会 Tatung University(大同大学:)は、1956年に台湾台北市中山区に設置された私立大学で、デザインの実践教育が盛んです。 千葉大学の私の研究室に籍を置いて学術博士号を取得された留学生が、大同大学の教員になり、大学院学生たちとともに、大量に産出される藁を活用し、私的のみならず公共的空間に設置して使用していただきたい椅子を制作提案してくれました。 目次
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藁 第8号
平成28年8月8日「藁の文化」研究会 山形県東田川郡藤島町では、1990(平成2)年11月3日より、毎年「日本藁文化大祭」が行なわれています。その基になったのは、1985年(昭和60)年に庄内たがわ農協藤島支所内に組織された有機農業研究会と藁細工研究会でした。 21世紀が間近になるなかで、これからの農業のあり方を探究したのです。その帰結が、化学肥料に頼らない有機農業と、日本における伝統的農業の基底を貫いてきた藁の文化でした。 以来、藤島町では「稲作文化は藁の文化」の哲学と実践が保持・継承されています。 目次
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藁 第9号
平成28年9月30日「藁の文化」研究会 1976(昭和51)年、ドイツのミュンヘンにて「デザインと生態学(Design und Ecologie)」をテーマとした国際手工芸展(Internationalen Handwerksmesse Munchen)が開催されるとの連絡が当時の経済産業省製品科学研究所からあり、日本からの展示の発案とまとめを私が仰せつかりました。 大急ぎで「日本における生態学的意匠・藁の文化」と題する論文をまとめるとともに、若干の実物・写真などを主催者に送りました。一ヵ月後ほど、上のミュンヘンにおける展示会の写真とともに、最高栄誉賞の証書が送られてきました。 「藁の文化」などに関心を寄せることは当時の日本ではほぼ皆無であったので、西欧におけるその評価に驚愕いたしました。この経験が、「藁の文化」研究会の開設に繋がっています。 目次
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藁 第10号
平成28年11月13日「藁の文化」研究会 山梨県小淵沢町の玄関である中央自動車道小淵沢インター横の広場に、高さ約6メートルの藁馬をつくりました。昭和59(1984)年、小淵沢町にて、シンポジウム「ものを通してみた生活文化の変遷・山里編/ワラを中心として 小淵沢町の集い」を開催しました。 当時日本一大きいといわれたワラ馬は、そのシンポジウムを記念して、地元の方々のご支援を得ながら、千葉大学の私の研究室の学生たちが総出で制作したものです。写真は、山梨日日新聞に大きく掲載されたものです。 目次
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藁 第11号
平成28年12月18日「藁の文化」研究会 千葉県船橋市中野木には、2月初午の日に、ツジギリと呼ばれる行事が伝えられています。戸数30戸の古くからこの地に居住してきた農家の方々は、氏神社に集まって、1対の雌雄の大きな藁蛇と、小さな藁蛇とをつくります。 制作が終わると、東西の組に分かれて大きな藁蛇を抱えて行進し、東組は東のツジの大木に、西組は西のツジの大木に藁蛇を掛けて合掌し、集落に災厄をもたらすものが入ってこないように願い、次いで、各家々のカドに小さな藁蛇を掛けて祈ります。集落の平安を願い、豊作を祈念する伝統行事は、稲藁なくしては成り立ちません。 目次
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藁 第12号
平成29年1月5日「藁の文化」研究会 平安中期にはこの根刈り収穫法が広く一般にも定着していたとみえ、『枕草子』には、8月晦日ごろ太秦に参詣する途中の叙景として、長柄の鎌で根刈りする様子が記されています。 目次
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藁 第13号
平成29年1月8日「藁の文化」研究会 延亨(1744~1747年)ごろに描かれたとされる長者宅の豆撒き。邪気を追い払うために、平安時代の9世紀末ごろから、節分には豆撒きが行われるようになったという。 鞍馬山に出た鬼が都を荒らすので、3石3升の大豆で鬼の目を打ちつぶしたとされる。長者の家の門口には、2本の松が立てられ、注連飾りがわたされている。当時の節分・豆撒きは、正月行事であったことをうかがわせる。 目次
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藁 第14号
平成29年1月18日「藁の文化」研究会 団子さし。奥会津三島町では、小正月行事のひとつとして、ミズノキの小枝に色とりどりの団子の花を咲かせる、団子さしを行ないます。 1年のはじまりに、豊かな恵み・収穫を願い、あらかじめ祝う行事です。人びとの心からの願望は、叶えていただけることでしょう。そんな、一年であってほしいですね。 目次
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藁 第15号
平成29年1月25日「藁の文化」研究会 藁沓。私たちは、頭から足の先まで、藁にご厄介になってきました。藁の活用は私たちの生活の全面に広がっていましたが、なかでも、往時の日本における衣生活は藁なくして成立ち得なかったほどに、いわば藁尽くめであったといえるでしょう。 しかも、個々の藁の生活用具の呼び名、つくり方、使い方、意匠などが、地域独自でしたから、まさに多様で豊かな文化でした。住民たちが風土に対応して自ら創造してきた藁の文化が、全国各地に花開いていました。 本号では、秋田県に花開いた藁沓の豊かな文化を、ご紹介いただきました。 目次
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藁 第16号
平成29年3月4日「藁の文化」研究会 秋田県美郷町「わらの文化」交流の集い 特別号 「米は八十八手」と言われ、一粒のお米を手にするまでにも実に多くの手間がかけられました。一面に実った稲の波をみて、私たちは、その色を「黄金色(こがねいろ)」と呼んできました。この黄金色の波を生み出してくれるのが「わら」です。「わら」は「お米の親」として、大切にされてきました。 目次
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藁 復第17号
平成29年3月31日「藁の文化」研究会 藁筆づくり。3月4日(土)、秋田県美郷町主催「わらの文化」交流の集いが行なわれました。町内外から訪れた150人余の方々は、講演会および事例報告に参加した後、藁筆づくりにチャレンジしました。 根刈りした長稈の藁に触れるのが初めての方や久しぶりの方も多く、藁の香に包まれながら、みごを抜き、穂先を叩き、束ねてしばり、藁筆を制作。そして、自作の藁筆で、用意された大型の和紙に、思い思いの言葉を描きました。会場には嬉しそうな顔、顔・・・。 目次
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藁 第18号
平成29年6月20日 「藁の文化」研究会 雪の下から顔を出したスイセン 今年は降雪の日々が続きました。そんな中にも、眠っていたスイセンの球根が、雪を除けて伸び始めました。 目次
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藁 第19号
平成29年6月30日「藁の文化」研究会 「わら天神」 私たち日本人は「藁」にいろいろご厄介なっているのに、藁を祀る神社はないのかと探っていましたら、京都にありました。京都市北区衣笠天神森町の俗称「わら天神」です。 護符は和紙に包まれた「わらしべ」。その「わらしべ」に節があれば男子、なければ女子を授かると言い伝えられているとのことです。 目次
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藁 第20号
平成29年7月29日「藁の文化」研究会 大韓民国慶尚北道安東市河回村(ハフェマウル)の 韓国博物館の理事、樋口雄一様がこの美しい写真を送ってくださいました。ユネスコの世界遺産に登録されているそうです。 韓国の農村地域の草葺き屋は、秋収穫時に入手できる藁を積み重ねていく方式をとっていますので、旧家になればなるほど、丸くこんもりした藁屋根になります。周囲の景観にも溶け込んで、何ともいえない美しい田園風景を伝えてくれています。 目次
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